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画像|上沼恵美子の若い頃がかわいい!漫才界のアイドル時代のエピソードと引退までの過程を時系列まとめ!

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司会者やお笑い審査員など、非常に幅広く活躍している上沼恵美子さん。

上沼恵美子さんの若い頃が漫才界のアイドルと言われるぐらいかわいいんです。

漫才界のアイドルとして、人気絶頂期に漫才を引退した理由についても気になりますね。

そこでこの記事では、

  • 上沼恵美子の若い頃の画像がかわいい
  • 漫才界のアイドル時代のエピソード
  • 漫才界のアイドル時代から引退までの過程

について解説します。

【画像】上沼恵美子の若い頃がかわいい!

上沼恵美子

タレントの上沼恵美子さん、実は若い頃がめちゃくちゃ可愛いと話題です。

漫才界の白雪姫と言われるほどだったんです。

そんな上沼恵美子さんの若い頃の画像がこちらです。

上沼恵美子

めちゃくちゃ可愛いですよね!

ぱっちりした目、ぷっくりした涙袋、漫才界の白雪姫も納得です。

上沼恵美子さん、実は芸人志望ではなく、元々は歌手志望だったそうです。

しかし、姉の相方がデビュー前に失踪したことで、急遽姉とコンビを組むことになりました。

上沼恵美子

1971年、上沼恵美子さんが中学校を卒業した年に、二人一緒に海原小浜さんに弟子入りしました。

そうして上沼恵美子さんは姉と「海原千里・万里(うなばらせんり・まり)」としてデビューしたんですね。

上沼恵美子

結果的に、海原千里・万里は大人気となり、歌手デビューも果たします。

1975年に発売したレコード「大阪ラプソディー」は、なんと40万枚も売りあげる大ヒットでした。

元々歌手志望のため、嫌々芸人活動をやっていた上沼恵美子さん、歌が大ヒットしてめちゃくちゃ嬉しかったでしょうね。

そんな上沼恵美子さんのアイドル時代のエピソードも見てみましょう。

上沼恵美子の漫才界のアイドル時代のエピソード!

上沼恵美子

「漫才界の白雪姫」と呼ばれていた上沼恵美子さんの、アイドル時代のエピソードをご紹介していきます。

北島三郎からスカウトされる

上沼恵美子上沼恵美子さんは、漫才界のアイドル時代に、

北島三郎にスカウトされたことがある

そうなんです。

 

上沼恵美子さんと姉は、富山県で行われた「北島三郎ショー」の前説で、漫才をした海原千里・万里。

持ち時間がなかなか漫才だけでは埋まらなく、歌も歌ったそうなんです。

上沼恵美子

するとその様子を別室モニターで聴いていた北島三郎さんは、当時まだ現役の高校生だった上沼恵美子さんを楽屋に呼びだし、

北島三郎
北島三郎
東京の俺の家から学校に通って”歌手にならないか

とスカウトしたそうです。

しかし当時上沼恵美子さんは芸人になったばかりなので、丁寧にお断りしたんだそうですよ。

北島三郎さんに直々にスカウトされると、ほとんどの人が気持ちが揺れると思います。

ましてや元々歌手志望だった上沼恵美子さんが、北島三郎さんのスカウトを断ったのもある意味すごい勇気です。

上沼恵美子さん、昔から義理堅くしっかりしていたんですね。

歌唱力が抜群

上沼恵美子上沼恵美子さんは父親が演歌好きなこともあり昔から歌が上手かったそうです。

小さい頃から「のど自慢」に出ていたことがあるほど。

その歌唱力の高さから、『のど自慢荒らし』とよばれていたそうですよ。

当時のライバルはなんと、天童よしみさんだったそうです。

天童よしみさんと張り合えるほど、上沼恵美子さんは歌唱力が高いんですね。

北島三郎さんにスカウトされるのも納得です。

 

続いて、上沼恵美子さんの漫才界のアイドル時代から引退までを時系列でみていきたいと思います。

上沼恵美子の漫才界のアイドル時代から引退まで過程を時系列まとめ

上沼恵美子

上沼恵美子さんが漫才界のアイドル時代から、電撃引退までの過程を時系列でまとめてみました!

  1. 1971年:海原小浜に弟子入り
  2. 1975年:歌手デビュー
  3. 1978年:結婚により電撃引退

それぞれ解説します。

1971年:海原小浜に弟子入り

上沼恵美子

上沼恵美子さんは1971年に姉と海原小浜さんに弟子入りし、

海原千里・万里(うなばらせんり・まり)

という名前でデビューしました。

ちなみに上沼恵美子さんが『千里』、姉が『万里』です。

上沼恵美子さんは、芸人を初めはイヤイヤしていたんですって。

上沼恵美子

しかしそんな本人の気持ちとは裏腹に、テンポよく巧みな話術から一気に人気のコンビとなりました。

デビューして間もないにも関わらず、

  • 上方お笑い大賞銀賞(1971年)
  • NHK漫才コンテスト優秀敢闘賞(1973年)

と、立て続けに賞を獲っていたんですよ。

上沼恵美子さんは、芸人としてかなりの才能があったんですね。

1975年:歌手デビュー

上沼恵美子さんは、1975年『海原千里・万里』で歌手デビューを果たします。

本業が歌手といってもおかしくないほど、歌が上手ですね。

先程も述べましたが、『大阪ラプソティー』は40万枚を売り上げ、大ヒットしました。

上沼恵美子

この頃はもう人気絶頂といっても過言ではありませんね。

1978年:結婚により電撃引退

人気絶頂だった上沼恵美子さん、1978年に実は一度芸能界を引退しているんです。

上沼恵美子さんが芸能界を引退した理由ですが、

結婚

したからなんです。

上沼恵美子

1975年、上沼恵美子さんが20歳の時、関西テレビ『日曜ドキドキパンチ』に出演しました。

その際にのちに夫となる『関西テレビディレクターの上沼真平』と出会ったんです。

しかし周囲は、上沼恵美子さんと上沼真平さんの結婚を反対していたようですね。

上沼恵美子さんと上沼真平さんは、周囲の反対を押し切るかたちで1977年5月22日に結婚しました。

上沼恵美子

そして『海原千里・万里』を解散して、芸能界を引退したんですね。

引退後、夫と姑と三人で大阪府箕面市にある18坪の家で生活を始めました。

そして1978年長男、1983年次男が誕生しました。

上沼恵美子

引退後は専業主婦をして、子育てと家事を一生懸命していたんだそうですよ。

そんな上沼恵美子さんが芸能界に復帰した理由は、「ダウンタウン」だったそうです。

漫才の司会を誘われ、一度は専業主婦だからと断りましたが、ダウンタウンが出るときいて復帰することにしたんですって!

上沼恵美子

上沼恵美子さんがのちに司会業で花が咲いたのは、ダウンタウンがきっかけだったんですね。

もしあの時、ダウンタウンがでていなければ今も専業主婦だったのかもしれません。

上沼恵美子の若い頃について世間の声

上沼恵美子

上沼恵美子さんの若い頃について世間の声がこちらです。

上沼恵美子さんが自分で「若い頃は可愛い」といっていたのは本当だった!や、すごくかわいいといった声がたくさんあがっていました。

やはり誰がみても、若い頃の上沼恵美子さんは可愛いことがわかります。

まとめ:画像|上沼恵美子の若い頃がかわいい!漫才界のアイドル時代のエピソードと引退までの過程を時系列

この記事では、

  • 上沼恵美子の若い頃がかわいい(画像)
  • 漫才界のアイドル時代のエピソード
  • 漫才界のアイドル時代から引退までの過程

について解説しました。

上沼恵美子さんは、漫才界の白雪姫といわれるほど若い頃がかわいいです。

当時はアイドル並みの人気があったんだそうですよ。

顔も可愛いですが、歌唱力も高くなんと北島三郎さんに直々にスカウトされるほどだったんですって!

人気絶頂の時に、結婚で一度芸能界を引退していますが、ダウンタウンがきっかけで復帰したんだそうですよ。

上沼恵美子さんが専業主婦でいるのはもったいないですもんね!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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